終わりに

日記

親と自分

親と自分

少し書く。

 


1

 生い立ちはあまりよくなかった。家庭の不和による僕への影響は大きかったし長年悩んできた。僕の苦しみについて母は理解できないだろうし、父は何度丁寧に説明しようとも大半は忘れてしまう。そんなことをくり返して何度も喧嘩することもあった。

 しかし今ではそれらのことはどうでもいい。僕は両親に自分の多くのことを理解してもらうことは半ば諦めている。そんな中ここ数年の親の行動を見ていると僕はいつもの悲しさをいだく。親も年をとり随分と丸くなって夫婦喧嘩も減った(家庭内離婚のような状態が何年も続いている)。その分僕に対してあれこれ考えたり配慮する余裕ができたのか普通の親らしくなってきた。

2

 そうなってくると僕ももう過去のことをわざわざ責めようと思わないし、たまにわき上がる自分の生い立ちへの怒りももう向かう場所が無い。親がしっかり機能しはじめたことにより僕の不満はもうどうするこもできず、ただ今までしてきたように時が癒やしてくれるのを祈るばかりだ。

 そして親らしくふるまう両親に対して僕も少しずつ息子らしく行動するように少しずつ努力している。色んな感情がでてくる。やっとまともに家族になりはじめたのか、最初から家族だったのは変わらないのになにかが変わってきたような気持ちだ。これは劇的な変化じゃない長い時間がもたらしたものだ。

3

 僕は小さい頃からいずれこのようになることは予想していた。僕と両親がいくらいがみ合っても僕は彼らの子どもであっていつかはこのようになっていくんだと。「このように」がどんなものかは文章にはできない。おそらく経験者である自分にしかわからないだろう。

 ただ成人し数年がたって両親が家族らしさを取り戻しはじめたように僕も自分の生い立ちを許し、ちゃんとしなければいけないのだ。

 とにかく人生は難しい。他の人間には当たり前のようにあるものが、スタート地点で無い場合もある。色んな人たちが色んな形で満たされず大人へと向かっていくのかもしれない。

4

 3でも書いたが僕はいずれ親が人間として丸くなっていくことも僕が人間として成長することも予想して信じていた。僕の生い立ちは不幸の連続で本気で親を憎んだこともあったかもしれない。その時に僕は「悲惨な結末」にならないように踏みとどまった。そういう理性が僕を支えてきた。

 僕に嫌がらせをした人間もたくさんいたし中には例え人生を引き替えにしてでもこの世から消してやりたい奴もいたが、自分の中の冷静な部分がそんな相手と自分の人生を天秤にかける必要は無いと止めてきた。
それと同時に相手の家族のことも考えたりした。反撃はいつでもできたがそれによって相手を傷つけるということは、相手の家族が悲しむだろうと思って僕はしなかった。

 そういった優しい部分が僕の人生を苦しめたこともあったし、救ったこともあった。