過去アーカイブ絵3
チャレンジ失敗
新都社に漫画のせようと思ったけど挫折した。最初は併載不可が気になってたけどなんとかふりきって載せようとしたけど仕様の問題とか難しくて、自サイト方式でアップしようとあくせく2時間くらいを無駄にした結果上手くいかなかった。
ここに載せようと思った一番大きい動機は結局見てもらったりコメントで感想が見たかったんだけど何回も失敗すると落ち込む。それに他の作品を見に行ったけどどれもすごかったり温かいコメントばかりだった。自分じゃおよばない決定的にたりてないものを感じて疲れちゃった今日はもういいや。せっかくアップするための漫画も描いたけどこれもおそらくどこへいっても誰にも好きになってもらえない気がするんだよなー
自分の絵が急に恥ずかしくなる時がある
どちらかというと絵をアップする機会は多いけどそれがなんだか恥ずかしくて逃げてしまいたくなる。もちろん自分の絵がうまくないのもわかってるしでも独りで描き続けるのは寂しいし、人から見た自分の絵がどうなのか知りたくてアップするわけだけど反応というのはほとんどないTwitterもほとんど反応ない。
とはいえあそこはSNSの色が強いからまぁいいかとは思う。ピクシブはそれなりにブクマがつくことはある。本当にありがたい。閲覧数といいねブクマの比率を考えると悲しくなる有名な人であってもその比率は閲覧数の割にはいいねブクマが少ない。
つまり絵を見る側は良いものさえさっさと手に入ればいいだけで、評価いれるかどうかは各々の理由でしない人が多いわけだ。そう考えると絵を描くのが虚無ですらあると思う別に評価のために描いているわけではないけど絵を描くにはエネルギーも時間も使うのに誰かと比べられてしまえば自分がいかにちっぽけかを感じるし悲しい。
僕の絵はその中でも需要の無い部類で需要が少ないからありがたがられるかというとそうじゃない。少ない供給でも人は上質なものを望むただで見られるならなおさらだ。
そんな結局結論を言ってしまえばひたすら努力するしかないやら楽しんで描けばいいやらで終わる話で悩んでは努力で実力を手に入れてもただでいい思いをしようとするやつらの気まぐれに傷つけられるだけでは、と考えたり今の実力でイラストをアップする自分が無性に恥ずかしくなったりする。
アナログは楽しい
アナログで紙に描くのは楽しいな。加工ができないから簡単に直したりごまかしたりできないけどひきたい線がひける時々湧き上がってくるこれをデジタルで仕上げたいという思いを消せれば完璧だ。何もかもたりない中に練習もたりないのだから練習するしかない。そもそも自分の絵を見る人自体少ないんだからずっとアナログで描いていればいいんだ。
世のつまはじき人の絵なんて誰も見たくない。自分にとって絵はうつし鏡だそれが評価されないのは自分への直接評価と同義。でも認められなくても結構。もっともっと奥へたどりつきたいどうでもいい。
アナログはまだ絵が楽しかったころの香りがする気がする。完成すればすぐにでも誰かに見てほしいけどそんなこと何にもならないから。
絵とSNSの愚痴
SNSと絵の近況と愚痴なので読まなくていいです。
絵は疲れる
最近も絵を描いてるいやー疲れるよたとえ上手くなくともやれば疲れる。そしてどうしてもどこかに絵をあげたくなってしまう。これはもうしないほうがいい。自分の描くものが誰かに望まれるようなものじゃないことにはとっくの昔に気づいてるのになんであげたくなるんだろうなぁそりゃつくったものは誰かに見て欲しいけど見て貰ったら褒めてほしくなるだろ?ここがだめな気がするんだよなー
上手かったら評価されるのは普通だよ。でも自分は上手くはない。昔よりは格段に上達しているはずなのにほとんどの人間に認められていない。絵描きはどいつもこいつも絵が上手くたってみんな「絵が上手くなりたい」って言う。僕はそれを見る度に上手いくせになに言ってんだと思うがそうじゃないんだよなー。
それぞれにステップアップした目線からのもっと上が見えていてそれが続いていくんだよきっと。
上手いってなに
これとは別に対して上手くなくても評価されてる絵もある。そういう絵にこそ僕は敗北感を抱くのかもしれない。自分でこえられそうなあるいはこえているはずの絵。
落とし穴はここにある。ああいう絵は恐らくヘタウマ系や純粋に魅力がある絵なんだが、それをみて自分が勝手に上手い下手を持ちだしているにすぎない。自分はそれらより優れているはずという傲慢が自分の価値をさげている。
そう思う時がある。とはいえ実際にたいしたことないのになんだか勝手に人気な絵があるのも事実だと僕は思う。でもな自分の絵はそこにも位置していないんだよね。なぁーんだこういう嫉妬されるような絵のようになんらかの興味も抱かれないのが今の自分の作品なんだって、そう思う。
描いてる時はある程度楽しいけれどそんな寂しさを味わうことがある。僕が時間をかけて描いた絵は誰の「好き」にもなれないんだなってそう思う。
たまに認めてくれる人がいる。本当にありがたい。
SNSにも無い居場所
基本孤独だよ。SNSを使う意味も感じないんだよね。今関わりのある人が大切だから続けているけどSNSでつぶやくような日常も楽しい話題も僕の中には無い。そもそもSNSは僕にとって虚無に近い大衆の中に入っていって自分の魅力の無さをありありと感じるのも疲れるし有名人を追っていても自分のちっぽけさに逃げ出したくなる。
自分ができることはオカルトの記事を書いたり絵を描くことだけどそれを好いてくれる人と出会ったり繋がる力が無いんだよね。だってその話題を共有する相手って僕じゃなくてもいいもん。
最初は僕はこんな絵やキャラクターが好きだから同好がほしいって思ってた。でも周りを見ればもっと優秀な誰かをみんな同好の仲間にしてる。
僕はオカルトが好きだから話題を共有する仲間を探した。でも僕がそういうものが好きだって伝わるまでもなくみんな僕に興味をなくす。そもそも関心すらなかっただろう。
匿名掲示板の気楽さ
結局話題の共有という観点からみれば僕は匿名掲示板が一番あってるんだよ。嫌になったらとじればいいし意見が違ってもどうどうと言うことができて基本あとぐされが無い。
好きなものをひたすら賛美するという行動や空気に疲れることもない。絵に関しては匿名掲示板にはいっさい期待してないからこれは話題の共有手段としてあれを評価していると思ってくれ。
今絵に対して思ってること
とにかく描くと疲れるしばらく離れるべきだ。もし僕の絵が手放しで世に賛美されても僕は幸せではないと思う。自分のつくるものは世にとって美しいものではないのはわかっているし満足のいくものが描けていないと意味がないからだ。
そう考えると満足のいく絵の指標の一部が評価であって最終目的ではないことがわかる。そう評価されることが第一ではないんだ。力のない自分に不満があるだけだ。その指標を軽々しく満たしている相手に嫉妬しているわけだ簡単なことだった。
このようなコンプレックスはそう簡単に解消されないだろう。今文を考えながら気持ちをなんとか書き表しているが実際の嫉妬感情はもっとすごいものだろう。もっと年齢をかさねればなんとか消えてくれるだろうか。
最近嬉しかったこと
絵関係のお話です。読まなくていいです。
最近よかったこと
好きな絵描きさんに部分的にでも「尊敬してる」って言われたこと。もうやばいよね冷静を装うなんて無理だよね。自分なんて普段世のそういう付き合いを眺める側ですよ。それが好きな相手からリスペクトの言葉を贈られるって嬉しいよなぁ。
自分の普段の言動なんて一生懸命抑えようとしてもどちらかと言えば卑屈なほうなんだけど、それもわかった上でそういう言葉を投げかけてくれるって本心以外ありえないと思う。もちろん疑ってないしすごくうれしい。
たまにはいいことあるんだなぁ。自分の良いところ見つけてくれる人僕にもいたんだなぁって思った。
とはいえここから大事なことは自惚れずに自分のできる限りで頑張ることだと思う~嬉しいことは嬉しいまま生きていきたい。それを忘れないように書いておこうと思った。
単推しはすげぇって話
二次創作における単推し、良いですよね~数人キャラ単推し系のかたを知ってるんですけど好きですよそういうの。個人的には単推ししてると「今日はどのキャラ描こうと考えながら終わる日」が少なそうな印象があってうらやましい。ずっと追っているキャラならシチュも出しやすそう。じゃあなぜ僕が単推しに走らないかというと一番の理由は覚悟がないことだと思う。
すごいことですよ一人のキャラクターにずっと心をよせ続けるということはね。現実の人間ですら誰彼に目移りしてしまうんだからさ。そんなことを最近考えていた。
エロ絵描けばのびるはちょっと違う
絵について考えていることを書いていきます。読まなくていいです。
エロ絵について
私はエロ絵をよく描く。もちろん描いていて楽しいし身体の構造を理解するのにも役にたつかなって思いながら描き続けている。
絵関連のスレッドを見ているとエロ絵さえ描けばすぐ評価されるという話を目にする。これは半分正解で半分間違いだ。目につきやすいから評価される可能性は高いが今は上手くてエロい絵なんてたくさんある。
それにマイナージャンルのエロを描いたとしても「そのジャンルを検索してなおかつマイナーキャラのエロに興味がある人に気にいってもらう」必要がある。絵を見る層にはたくさんの人がおり「絵さえ手に入ればブクマや作者」はどうでもいい」人もいる。これは悪ではないと思う。エロ絵を探すのは刹那的な衝動をともなう。そんな中いちいち画像を保存しながら冷静にブクマする人間は少ない。
つまり見る母数が増えるがジャンルの性質上評価されにく面もある。それに今は絵描きも随分と増えた。自分のピクシブの通知を見るとフォローしてくれる人やブクマしてくれる人の中に「絵描き」はほとんどいない。
絵描きは自分が絵をかけるぶん人へのハードルが高い部分がある。それとは別に人の絵を認めたくない人もいるんだと思う。圧倒的に上手い人は認めるが、「自分に近い実力や少し自分より上の人間の絵は見てもブクマしたくない」というような層は存在すると思う。だから私は絵描き同士はわかりあえないと思っている。もしありえるならとても仲が良いかよっぽどの上辺の関係の両極端だ。
私の今の画力
私の実力はどうかというと上手くはないけど特別下手でもないと思う。むしろ昔描いていたころより圧倒的に前に進んだと思うし、エロ絵のクオリティも上げるようにしている。でも評価はあまりのびない。
かと思えば「なんでこれが!?」っていう画力の他人の絵が大量にブクマをもらっていたりする。長い間私は自分に実力が無いことを自覚したうえで、画力の向上に努めてきた。ようやく自己評価の低い自分でも多少なりとも「自分頑張ったな」と褒めてやれるようなものが描けるようになってきたのに鳴かず飛ばずだ。
ならば上手い下手の問題ではない可能性がある。それは思い当たる節がある。私にとって絵は満たされない欲求をぶつける対象でもある。私の描くシチュエーションは認知こそされているものの大衆受けはしづらいものだ。となると先ほど描いたようにマイナージャンルが好きでなおかつ評価してくれる人に見てもらわなければそりゃのびない。
評価せざるをえないほどの圧倒的クオリティならば話は別だろうが今の自分には無理。
もう一つ考えられるのは絵柄だ。私の絵柄はいわゆる萌え系ではない。あの大きな目の幼いものではなく少し写実系の横長の目である。それに輪郭も幼い円形ではなく現実に近い感じだ。萌え系の絵柄でなおかつ自分の納得のいく完成度ならのびたかもしれない。
最も悲しむべきなのは私のつくれるものは萌え系ではなく、大衆受けする性癖でもなく、上手でも下手でもない中途半端さなのではないか。
そういうことを考えているとなおさらさきほど言っていた「なんでこの絵が評価されているの」と思う絵に対する悔しさがあふれてくる。この点に関してはせっかく自分のブログだし正直に言う。本当に悔しい。意味がわからない世の中は幼い絵なら何でもいいのか?
SNSと絵描き
私は絵を描く大衆の中で孤独だ。SNSでどこかの界隈に所属するわけでもない。よく絵描きをTwitterでフォローするがフォロワーの数がフォロー>フォロワーの人からもフォローは返ってこない。人柄的にもフォローは返していそうな人でもフォローバックは無い。私の画像欄を見てよっぽど合わないと思ったのかそもそも興味すら持たれない。
こういう場面でも「なんでこの人はOKで私は駄目なんだ」と思うような人物がいて悔しい。もちろんフォロバが目的ではない。その人と趣味が合いそうだったり同じものが好きだから仲良くなりたいのだがフォローが返って来なければ関わることもない。かといってふぁぼしまくったりリプライを送りまくって無理矢理認知させる気もない。
でもそういうリプライを送りまくって仲良くなっていく人をTLで見ていると悔しい。自分がやると嫌われそうな行為なのに他人がやるとなぜか成功している場面を何度も見てきた。
最近も絵柄がかわいいなと思う人をフォローしたらありがたいことにフォロバされたがその人はそうとうな自己顕示欲の塊で何度も何度も絵を再掲し色んな人をリプライで褒めまくっていた。でも私にリプライがくることはないし、その人が知っているジャンルのfgoの絵を描いてもいいねもこない。リスト管理の話をしていたから恐らく私の絵は見られてすらいないのだろう。
でも人との縁をこれ以上きっても悲しいのでなんとか仲良くなろうと私は思っている。相手がどう思っているかは知らない。
さらにその人は私がフォロバしてもらえない「絵の上手い人」からフォロバされている。その上手い人の絵は好きだし性癖も似通っていそうなのに私にはフォロバはこない。
じゃあ私には何がたりないのか今は自己顕示欲丸出しでアピールしまくったほうが得なのか。例えそうだとしてもそんなことする気にはならない。
SNSと絵の評価
私が日頃抱いている「どうしてこの絵がこんなに評価されているの問題」についてはいくつかの可能性があげられるがここではSNSとの関わりに触れようと思う。まず流行にのった話題性と関わっている作品かどうかやツイッターでの外交の存在は大きい。そんなに絵が上手くなくても身内さえたくさんいればブクマの数は増えるんじゃないかと思っている。
というかそのような身内同士のTwitterでのいいねやピクシブでのブクマの存在は大きいと感じる。それならば実力に対する評価の高さも納得はいく。そうなると私の外交力の無さが悲しくなるが外交で得た評価になんの価値がある?もちろん本当に良いと思ってブクマする人だって多いし過半数だと思うけど結局絵って評価ってなんなんだよ。
私は本当に良いと思ってくれる相手がほしい。そういう人と出会いたいが無理をしてまで輪を広げる気はない絵を描いて努力を続けていれば私と趣味が合う人がいつかは気づいてくれるかもしれない。現になんどかそういう経験はあった。
まとめ
ここまで書いた私の思想は間違っているかもしれない。しかし普段は押さえ込んでいるしこれらの文句の裏には単純に同じ趣味の仲間が欲しいという心があることを誰かにわかってほしい。
私はいいんだ相手の絵の技術が低くても圧倒的に高くても趣味が合う相手と色んな絵の話をしたい。そんな欲求が色んな経験の結果嫉妬ばかりに変わっていく。私だけが悪いわけじゃないはずだ。